日々馬鹿日記2005 Ver.1.01b

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わんまんす

あの出来事から1か月。もう1か月というべきか、まだ1か月というべきか。当時は名前すらつけられていなかった東日本大震災。直接の被災者ではないものの、会社が仙台にあるから被災者に近いような立場にいる。
4月から仙台の会社で働いている。ただ仙台市周辺に仮住まいを見つけることができず、当面は山形の実家から高速バスで通勤する毎日。片道3時間近くで、帰ってきたら2時間もしないうちに寝ないといけない。電車(仙山線)が全面開通すれば少しは短縮できるのだが、1〜2週間はかかりそう。一方の会社は地震の爪痕があまり見られず(4/1までに直した?)、本来に近い業務ができている。ただ会社周辺の店は通常の営業には至っておらず、仮店舗で営業しているところもある。コンビニも数日間は閉まっていたが、今日になって24時間営業を開始した。ガソリン不足も先週のうちに一気に改善し、給油待ちはほとんど見られない。
同じ東北、同じ宮城、同じ仙台でも、震災前とほぼ同じ生活ができている所、順調に復興が進んでいる所があれば、電気も直らずいまだに復興の兆しすら感じられない所もある。いま自分が住んでいる・務めている所は普段通りの生活ができたり、コンビニも24時間営業ができるようになって、もう復興しているものと錯覚する自分がいる。「喉もと過ぎれば熱さを忘れると」はまさにこのこと。しかしよく見れば、電車はいまだ復旧していないし、バスのダイヤだって本来のダイヤにはもどっていない。そもそも電気だって完全に元通りには戻っていないわけだし、原発も終息への道のりはまだ遠い。会社も普段通りの業務ができているものの、避難所・実家生活を強いられている先輩がいるのも事実である。
あのとき、何が起こったのか、何を感じたのか、何を動かされたのか、日を追うごとに薄れつつある。本来ならこのことを忘れてはならない人間なのに、忘れがちになってしまう。同じ東北で生まれ育った人間なのに、なんだか恥ずかしい。ここ数日、活発になっている余震。震災はまだ終わっていないという警鐘を鳴らしに来たのだろうか。改めてあの出来事・被害を肝に銘じておきたい。