日々馬鹿日記2005 Ver.1.01b

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区切り

ちょうど去年の2月である、この会社を見つけたのは。
東京で就職活動をしていた自分。実家の隣県である仙台へやってきた。大学の求人の中で山形近辺の募集がないか探していて、その中に仙台が本社の企業があったので、東京で説明会を受けた後に仙台までやってきた。
社長との面接で技術職志望の意向を話した結果、わずか20分で4月からの入社が決まった。就職難だったこともあってそれまで1社も内定を得られなかった。
そんな中起こった3月の震災。東京でも自粛ムードのせいで店などが開いてなかったが、仙台の中心部は予想以上だった。当然JRは動いておらず(最初は駅構内もほとんど入れなかった)、周りの店も閉まっているところが多かった。そんな中で4月1日から仙台で働きはじめた。最初は製品の性能解析の補佐のような立場で仕事をしていた。分からないところを聞きながら仕事をしていった。
しかし転機は急に訪れた。7月に社長から営業部配属を命じられたのだった。
あまりにも唐突だった。パソコンが使えるからということで営業企画(客先用の資料作成など)に配属された。困惑したのは私だけではなく、技術班の人たちもそうだったらしい。当初は技術班の中で働くものだと知らされてたようだ。
気持ちを切り替えて資料作成など仕事を進めていった訳が、それも月を追う毎に仕事と向き合えなくなってきた。希望と現実とのギャップ、社内の空気、人。たった1人の人間であらゆる事が決められていく会社。ある幹部の人が某独裁国家と例えていたが、納得できる。
常識的に見れば「みっともない」「考えられない」。それがまかり通る会社。にもかかわらず、何故か有望な技術があり、研究開発のための補助金を受けることが出来ている。確かに技術は素晴らしく、実際にその様子を休憩時間中に見たりしたが、これは面白いと肌で感じた。出会ってよかった、目標にしたいと思える幹部の方々。こういった開発に携わりたかった。何度も同じ事を思った。いつかこの部屋で一緒に仕事をしたいと。
しかしそこへ近づく気配はなかった。「1人」と仕事する営業企画。自分の考えがあってもその人と考えが合わなければ進まない。その一方で露わになる社員との接し方の違い。ある人に対しては、直属の部下であるにもかかわらず突き放すような接触。その中で芽生えていったのは不安、恐怖。いつか自分も同じ境遇になってしまうのではないか。
新しい上司を迎えてもあまり変わることはなく、不安は消えない。仕事に対する熱意は下がる一方で、叱られることも増えていく。自分自身も常識的な行動が取れなくなってきた。何をしたくてこの会社へ来たのだろうか。新しい上司と仕事する事がよくあり、皆優しい方だった。部署が違うにもかかわらず、自分の状況を察して声を掛けてくれた。その気持ちは本当にありがたかった。それでも、展望を見いだすことは出来なかった。そして金曜の夜、意を決して自身の現状を話し、下された決断は、退職だった。あまりにも早い決断だった、入社の時の面接と同じように。
新社会人になって生活した自分は、あまり成長しなかった。成長できなかった面もあれば、成長しなかった面もあった。途中から成長することを止めてしまったのもある。自分の夢には1ミリ位しか近づけなかったかもしれない。ひとまずは、そんなところだ。