仙石線 代行バスが走っていた4年
東日本大震災以降、4年にわたって途切れていた仙石線が、今月29日に全線復旧する。それに伴い、4年にわたって続いていた仙台~石巻の臨時直通快速列車と、松島海岸~矢本の代行バス運転も終了する。復旧直前の、不通区間の様子を見て回った。
- 高城町駅
あおば通からの列車はここで終点となるが、代行バスの乗換駅としては案内されてない。その一番の理由は、駅周辺に大型バスを待機させるスペースがないこと。周辺の道路もあまり広くないため、駅からだいぶ離れた町の文化観光交流館に代行バス乗り場を置いた。
ちなみに駅の写真は1ヶ月前に撮影したが、当時はまだ列車の試運転は始まっていなかった。
東北本線へつながる連絡線もまだ工事は完了していなかった。
- 手樽駅
手樽から先もほとんどは駅の近くを走る県道沿いに代行バスのバス停がある。
無人駅であるが、震災前からSuica利用可能区間に含まれているので簡易Suica改札機が復活している。
運休中に何回か撮影しに行ったが、どうやら上げ忘れていたようなのでここで掲載する。
(2012年12月)
まだ復旧工事には入っていなかった。架線もそのままである。
(2014年5月)
架線の張り直しと駅構内の復旧工事が始まった頃
- 陸前浜田駅
こちらも無人駅だが、目の前が松島湾の入り江なので護岸の復旧工事も行われた。また駅舎も建て替えてある。
高城町駅と同様、駅から離れた場所に代行バス乗り場が置かれている。
(2012年12月)
ホームの破損だけでなく線路の湾曲や護岸の破損と、比較的被害が大きかった。
- 陸前大塚駅
こちらは駅舎だけでなくホームまで建て替えているほか、護岸の復旧工事も行われた。
代行バス乗り場は駅の目の前である。
(2013年1月)
架線が切れたまま放置されていた。
(2014年5月)
ホームや架線柱が完全になくなり、乗車駅証明書発行機だけ残っていた。
- 東名駅
仙石線で一番被害が大きかった駅のひとつ。残念ながら新駅は開業当日まで一般公開はされないようである。ということで東名駅があった場所の様子となる。
跨線橋から見る旧駅。関連会社が敷地を使用していた。
野蒜方面を望む。奥に小さなトンネルが残っている
東名跨線橋。仙石線の名前が残っており、少し前まで電車が通っていたことを物語っている。
跨線橋のすぐそばに代行バス乗り場がある。
遠くでは復旧工事が行われていた。
新しい東名駅がある場所を眺めるが、駅らしき姿は見えなかった。
(2013年1月)
まだ駅舎が残っていた頃であるが、架線のほとんどは大津波でなくなっている。
- 野蒜駅
こちらも新駅は開業当日まで一般公開はされないので、野蒜駅があった場所の様子となる。
こちらはホーム部分が今も残っていた。(ただし原則としてホームには入れず)
遠くに移設した野蒜駅のような施設が見える。
元々東松島市の奥松島観光情報センターがあったが、1F部分にコンビニ(ファミリーマート)が去年入った。
代行バス乗り場は駅前にある。
(2013年1月)
踏切やレールが残っていたが、今は撤去されている。
バス乗り場
駅舎には入れない状態。また駅構内では撤去工事が行われていた。
- 野蒜~陸前小野
新区間に切り替わる場所の様子である。
右にある用水路沿いに線路があったが、このように移設された。
(2013年1月)
まだ工事は行われていない。ちなみにこの部分は2000年に橋梁の架け替え工事が行われた区間になる。
(2014年5月)
移設工事がだいぶ進んだ頃である。旧線の架線はほとんどが撤去されている。
- 陸前小野駅
ここから先はすでに復旧しているが、代行バスも運行されている区間になる。
試運転中の205系が停車していた。
代行バスは駅前の国道沿いにある
(2013年1月、6月)
駅舎は矢本~陸前小野間復旧の際に改築された。
陸前小野駅の仙台側は柵で覆われていた。
停車中のキハ110系。当時は陸前小野駅の交換設備は使用中止し、片方のホームだけ使用していた。
- 鹿妻駅
代行バス乗り場
(2013年1月)
駅舎は震災前とほとんど変わっていないようである。
- 矢本駅
駅改札口。Suicaで利用する人のための案内がある。
代行バス乗り場。また列車と代行バスの乗り継ぎ指定駅でもある。
(2012年1月)
徐行運転とタブレットによる閉塞運転が行われていた。
- 石巻駅
仙石線ホームに停車しているキハ110系。日中は2両編成での運転
仙石線のホームが高いのでステップは埋められて運用していた。
と、約3年に渡って撮っていた写真も載せてみたが、運休していた区間は大規模な損壊がなかった場所であってもバラスト等から一新させた。来週の全線運転再開に向けて準備は万端といったところである。