日々馬鹿日記2005 Ver.1.01b

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10年前と今

東日本大震災からもう10年経過した。

ちょうど10年前、しかも震災が発生するほんの少し前、東京にいた。ようやく大学卒業が決まり、就職先(仙台)も決まって、お世話になった先生に挨拶に行く途中だった。そのとき、たまたま1枚写真を撮っていた。

当日、京王線ダイヤ改正が行われ、滅多に笹塚発着列車には入らなかった9000系が止まっていたので撮った。この写真を撮った24分後に地震が発生した。

※当日の記録
e3uematsu.hatenadiary.jp
大学に着いた3分後に地震が発生したらしい。


仙台に暮らしてからは、時間を見つけては時々被災地(沿岸部、被災した鉄道)を見に行った。一番感じたのは、行くたびに街の様子が変わっていったこと。特に道(道路)である。三陸沿岸道路が開通していったのはもちろん、沿岸沿いの国道は仮復旧工事と本復旧工事が行われ、仮道路も行くたびに変わっていた。それと同時に、地震の爪痕は消えていく地域もあれば、未だに残っている地域もある。特に原発周辺はどうしても遅くなりがち。
原発に関しては、放射能に関する話題はあまり聞かなくなったように思う(たまたま聞いてないだけかもしれないが)。常磐道に表示されている放射線量の表示も、設置した直後は最高値で毎時約5マイクロシーベルトくらいあったのが、最近は最高値でも毎時約2マイクロシーベルト程度に下がってきた。放射性物質の特性上、年を経ることで放出される放射線量が減っていくことの証でもある。その代わり、帰還困難区域だけ取り残されているのが現状。帰還困難区域の除染が大変であることの証でもあるように思う。さすがに10年ですべての避難指示を解除することはできなかった。時間をかければ放射線量は確実に下がるが、自然の力で(人間による除染に頼ることなく)放射線量を下げるのは難しい(下がるスピードが遅くなっていくため)。もしかしたらまだ10年はかかってしまうのかもしれないが、これだけは分からない。


転職が決まり、今までのように気軽に被災地へ行くことは難しい(距離的な意味で)。いまの三陸沿岸を走ってきた。
あの写真を撮った10年後、自分は岩手県普代村にいた。
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今日の三陸の海は静かで綺麗だった、10年前の悲劇がなかったかのように。
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奇しくも10年というタイミングで東京へ再上京を果たすことになってしまう。もう宮城に家を立てたので、ずっと東京に暮らすことはおそらくなく、いつかは再び宮城で暮らすことになる。10年後の3月11日、自分はどこで何をして、どんな写真を撮っているのだろう。