日々馬鹿日記2005 Ver.1.01b

2014/9/20に はてなダイヤリー から移行しました。1.01a→http://d.hatena.ne.jp/e3uematsu/

再度東京生活

東京での再社会生活が始まって2週間。この文章は、都内の大音量が流れる地下空間で作成している。10年ぶりの東京は、色々変わっていた。
毎日通勤電車に乗っているわけだが、10年前とは違い電車が超満員になることは少なくなった。通勤ライナーに至っては、発車間際には満席になっていたのが、半分しか埋まらない程度。コロナの影響でリモートワークが進んだ結果がこのような形になった。満員電車が満員でなくなる事が、本当に起こってしまった。
今いる会社で残業する人はどれくらいだろうか。残業する人は本当に少ない。出勤する人も、業務開始の30分前出社という事はなく、開始時間ちょっと前までに出勤し、時間になったらすぐ終了。まあ、これは自分が仕事始めた頃がそんなもので、数ヶ月したら残業生活が始まった。このあと数ヶ月経ったら、また残業が始まるのかもしれない。しかしながら、会社が変わるとこうも就業に対する考え方が変わるのだろか。なぜもっと早くこういう環境で仕事できなかったのだろうか。そんな事を思いながら仕事をしていた。

他方ではこんなことも。ちょうど1年前の今頃である。とあるゲームのイラストを描いている人が毎日配信しているというので見に行った所、絵を書いているのではなく音楽機材を使って音楽を流していた。何でも、コロナの影響でクラブ音楽のイベントが開催できない状況になり、インターネットで無料配信する代わりにカンパを募るという活動が行われていて、その視聴者がそういう音楽と全く関係ないその作者に流れ込み、何故か機材を買わされた(機材代付きで)という。それで練習していたのだ。その人は全くの初心者なのだが日に日に技を身につけ、1年たった今ではプロも唸る程の技量を身につけててしまった。まだイベント出演はほとんどしていないが、今でも時々音楽を流す配信をしている。
そんな事もあってか、自分も聞く音楽が少し変わってきたり、大音量で音楽を流して酒を飲むような所に行くようになった。そこにいる人は出演ですら自分より年下だったりして、一人だけ歳的に浮いてはいるのだが、この歳で新しい楽しみが見つかったのは本当に良かったと思う。新しい楽しみ、これからも大事にしていきたい。

マタキタトウキョウ

激動の3月だった。思えば10年前の3月も激動だったが、今回は逆と言おうか。

3月入ってすぐに転職先が決まったのが全ての始まり。半年転職活動を続けてようやく決まった。既に有給はなくなっていたのと、ほとんど休んでいて特別な業務もしていなかったので、内定が決まった数日後に退職した。退職金は、働いた年数の割にはあんまりもらえなかった。そういう所で不満が残った。

転職先は首都圏。単身赴任になることを家族に伝えたら快諾してくれたのは本当に助かった。宮城近辺でも求人はあったが、長期休職の理由のせいで受からなかった。ただ、これまでの職種にするつもりはなかったし、いままでやってきた職種と違うものにしたほうがいいのかもしれないと思い、採用が決まったらこれ以上他のところを探すことはやめた。

10年ぶりの上京で住むところは、昔住んでたアパートの目の前。勤務開始日までに居住できる場所、駐車スペースがある場所を考えてここにした。再スタートを切るなら住み慣れた場所がいいし。その場所は10年前からほとんど変わってなかった。

東京を離れてからちょうど10年。当時、仙台に内定が決まったのが3月で、東京を離れたタイミングも3月。タイミングといい色々偶然が重なるものである。この10年思い返すと、あまりいい環境で仕事ができなかった(残業代不払い、休日出勤、長時間残業など)。年齢的に転職が難しくなるので、定年・リタイアするまでこの会社で安心して仕事できることを願いたい。

f:id:e3uematsu:20210331120625j:plain

10年前と今

東日本大震災からもう10年経過した。

ちょうど10年前、しかも震災が発生するほんの少し前、東京にいた。ようやく大学卒業が決まり、就職先(仙台)も決まって、お世話になった先生に挨拶に行く途中だった。そのとき、たまたま1枚写真を撮っていた。

当日、京王線ダイヤ改正が行われ、滅多に笹塚発着列車には入らなかった9000系が止まっていたので撮った。この写真を撮った24分後に地震が発生した。

※当日の記録
e3uematsu.hatenadiary.jp
大学に着いた3分後に地震が発生したらしい。


仙台に暮らしてからは、時間を見つけては時々被災地(沿岸部、被災した鉄道)を見に行った。一番感じたのは、行くたびに街の様子が変わっていったこと。特に道(道路)である。三陸沿岸道路が開通していったのはもちろん、沿岸沿いの国道は仮復旧工事と本復旧工事が行われ、仮道路も行くたびに変わっていた。それと同時に、地震の爪痕は消えていく地域もあれば、未だに残っている地域もある。特に原発周辺はどうしても遅くなりがち。
原発に関しては、放射能に関する話題はあまり聞かなくなったように思う(たまたま聞いてないだけかもしれないが)。常磐道に表示されている放射線量の表示も、設置した直後は最高値で毎時約5マイクロシーベルトくらいあったのが、最近は最高値でも毎時約2マイクロシーベルト程度に下がってきた。放射性物質の特性上、年を経ることで放出される放射線量が減っていくことの証でもある。その代わり、帰還困難区域だけ取り残されているのが現状。帰還困難区域の除染が大変であることの証でもあるように思う。さすがに10年ですべての避難指示を解除することはできなかった。時間をかければ放射線量は確実に下がるが、自然の力で(人間による除染に頼ることなく)放射線量を下げるのは難しい(下がるスピードが遅くなっていくため)。もしかしたらまだ10年はかかってしまうのかもしれないが、これだけは分からない。


転職が決まり、今までのように気軽に被災地へ行くことは難しい(距離的な意味で)。いまの三陸沿岸を走ってきた。
あの写真を撮った10年後、自分は岩手県普代村にいた。
f:id:e3uematsu:20210311142215j:plain
今日の三陸の海は静かで綺麗だった、10年前の悲劇がなかったかのように。
f:id:e3uematsu:20210311142925j:plain

奇しくも10年というタイミングで東京へ再上京を果たすことになってしまう。もう宮城に家を立てたので、ずっと東京に暮らすことはおそらくなく、いつかは再び宮城で暮らすことになる。10年後の3月11日、自分はどこで何をして、どんな写真を撮っているのだろう。

退職と転職

約9年働いた会社を今日卒業した。

一昨日、転職を希望した会社から内定をもらい、昨日家族にも相談。家族の了解を得たので今日会社に退職を伝えた。復職したものの、あまり体調は戻らず。色々な事をやっているので色々な仕事をやらせてもらえた反面、専門的な事を生かすことができなかった。とはいえ学ぶ事も多かった。

今後単身赴任になる。ただ、問題を完全に解決しない(自分が作った借金)まま転職するので、それも克服しなければならない。遊ぶ事も今までのようにはできなくなるかもしれないが、今まで遊んできた事の裏返しと思い、仕事に集中したい。

半休職を終える

約2週間、どこにも行く事なく、転職先も決まることなく冬休みを終える。

転職先は相変わらず見つからないまま。転職する気持ちが足りないのか、気持ちだけ先走っているのか、タイミングが悪いのか。転職したい理由は少し前に書いた時と変わっていない。そんな気持ちの中で再び今の会社で仕事を再開する。不安しかないが、出来ることをして実績を積みながら転職先を探すしかない。コロナが落ち着いた頃には新しい会社で仕事できていればいいなと思う。

半休職生活

先週から体調がよろしくなく、昨日から2週間休養を取ることにした。今回は医師からの診断ではなく自主的な休養。

復職したあとも週に1回は休んでいた。薬を勝手に減らしたり飲まなかったのも原因かもしれないが、新しい環境に馴染めず苦しんでいた。会社の駐車場まで来たものの引き返したのもしばしば。2週間たったら再び仕事するが、同じことにならないか不安はある。まずは薬を飲み続ける事にする。転職もやってみているが、恐らくこの休職期間中には決まらないと思うので、無理をしない程度に。

デジタルになる鉄道無線

首都圏のJR線においてデジタル伝送方式の鉄道無線が導入されてから10年以上経過した。現在はほとんどの路線がデジタル化され、現在は地方路線への導入が進んでいるほか、私鉄・地下鉄においてもデジタル化が進んでいる。
実はこの鉄道無線、「無線」という趣味の中でも比較的主要な分類にあり、沿線や自宅・移動中に無線を聞いている人は少なくない。しかし、それに影響を与えているのがこのデジタル化である。

そもそもこのデジタル化は、始まりは老朽化した無線設備の更新が始まりになる。アナログ式のこの無線を運用し始めたのは1980年代で当時は最先端だったものの、今は携帯電話でもデジタルとなり、メールや画像の送受信も可能になったが、鉄道無線はそれに追いついていなかった。そこで、無線設備の更新に際して音声以外の情報だけでなく、テキストデータ(運転状況の配信・運転指示情報の配信)のやりとりも行えるようにすべく、デジタル化が進んでいった。
その後、国でも電波の有効活用として各種無線のデジタル化を推進することになった。
www.tele.soumu.go.jp
従来のアナログ式は、妨害電波の影響を受けやすいだけでなく、やりとりできる情報量が少ない(効率が悪い)デメリットもある。特に地下・トンネルにおいて携帯電話を使えるようにする際、既存の無線設備に影響を与える恐れが出ている。
これをデジタル化することで、妨害電波などの影響を最小限に抑えるだけでなく、与えられた電波の帯域(周波数)の範囲で様々な情報を効率よくやりとりできるようになる。すでに各自治体が運用している防災無線のデジタル化も進んでいる。

こういうメリットがある反面、「趣味」の観点からすると(現在は)デメリットが非常に大きい。そもそも、聞けなくなるのである。
アナログ式とデジタル式では音声信号を電波信号に変える方法が全く異なる。しかもアナログ式はその変換方式は比較的種類は少ないが、デジタル式は変換方式が多種多様に及ぶだけでなく、仕様も独自仕様(一般公表されていない)のものが多く、一般のレシーバー(受信機)ではそれを搭載できないため、現在販売されている市販のデジタル無線レシーバーでも聞くことができない。また、特殊な方法で聞けないようになっている無線を無理やり聞こうとすることも法律に抵触する可能性も出てきている。未だにデジタル化されたJRの無線を聞くことができないのはこのためである。
ちなみに、今後アナログ式の防災無線が使えなくなるのもこの理由である。

今後このデジタル式の鉄道無線を誰でも聞くことができるようになるのか。条件としてはこのようになる。
・鉄道無線の仕様を公開する(セキュリティの面から考えにくい)
・鉄道無線の伝送方式を、一般に公開されている仕様に変更する(既存の無線設備を変更することになりメリットがない)
・ボランティアが様々な方法で復調を試す(運次第)
・アナログの鉄道無線に戻す(国の方針に逆行することになるので現実的ではない)
このことから、残念ながら今後も聞くことはできないであろう。 ごく一部の鉄道事業者だが、仕様が一般に公開されている方法でデジタル化したことで、市販のデジタル無線レシーバーでも聞くことができるようになったが、1社だけであり拡大する動きはない。
鉄道無線という趣味は、将来的には「聞くことができない」無線を追い続ける趣味となってしまうだろう。